講習会

アメリカの講習会

日本の講習会の思い出

ブールジュの春

 

音楽の雑多な話

音楽の雑多な話

ミュージカル

教えること

声について

 

 

ブールジュの春と

二つのカテドラルの思い出

---

“ブールジュの春”というのは、毎年ブールジュ(フランスの真ん中へん)で行われる音楽祭のこと。

音楽祭といっても、ロック中心です。

 

もうひとつの大聖堂

---

 

時期は、たいてい4月。フランスの普通の学校は、2週間の春休み(イースター休み)です。私はこの音楽祭に参加・・・したわけはなくて、同じ時期に、同じブールジュで行われる音楽講習会の指導を受け持ちました。“メトリーズ“=聖歌隊のメンバーがフランス各地から集まり、一週間、一緒に練習、ミサの実施・コンサートをするのです。会場は、ブールジュの私立寄宿学校です。要するに「缶詰」いや、館ヅメ、だそうですね、で、1週間でコンサートプログラムを作り上げてしまうのです。毎年50人くらいの、10歳からの若者〜大人が集ります。

 

みなに配られる曲集には、教会で歌える曲、つまり宗教音楽しか入っていません。日本での合唱は、女性や児童のみということが多く、3部合唱が圧倒的に盛んですが、こちらでの聖歌隊には男性もいるので、基本的に4声部の作品がほとんどです。時代・言語はさまざま、アカペラもあり。そして、グレゴリオ聖歌も、入っています。現代の記譜とはちがった、古いネウマ譜のまま印刷されています。

これらの曲を習っては、すぐさまその日のうちに、ミサで歌ったりします。

ブールジュのカテドラルで、毎日夕方にはミサを行い、最終の日曜のミサにも参加します。

 

毎日毎朝8時30分には発声

私も、8時には無理やりおきて、学校の食堂で、生徒とともに朝食をとります。まずいコーヒー、セレアル、フランスパンをカリカリに焼いたもの(冷えている)、などなど・・・とても良い子の兄妹がいて、毎年、オレンジをしぼって新鮮なジュースを配ってくれました。(これはウマい!)

いつもは「朝は声出しが苦手」で、0時以前には歌いたくない、レッスン受けるのもだめ、なんていっていた私ですが、そんなこと、いってられなくなりました。怖ろしいことに、慣れるものです。あるいは、夜遅くまでうたっているせいかな?

 

1年目に教えたときは、発声のための基本ということで、グループ授業をしました。全員に寝転んでもらえるような場所を頼んだら、校内の幼稚園!の一室をもらいました。2年目からは、全員個人レッスンとなり、ピアノのある部屋で、20分というとても少ないレッスンでしたが、次から次へ顔ぶれが変わる、貴重な体験でした。曲をあげたくとも時間不足で、譜読みの早い子にしか渡せません。結局は、全体で練習している曲で発声強化をしていたようなものです。

 

個人レッスンには、

希望者には他に、指揮(入門から上級)、オルガンのレッスンがあります。いつも聖歌隊でうたっているが、いずれ指揮もしたい、という子供・若者たちが習います。ミサによっては実際に、彼らが棒をふるのです。見ていてほほえましいです。オルガンの個人レッスンは、学校内にあるチャペルで(シャペル)行われます。あいた時間に、オルガンを触ってみました。軽いんですね、鍵盤が。ピアノが弾けなくなったらオルガンという手もあるかな・・・と思いました。

 

とにかく、毎日毎日が歌

 

お昼もまた同じ食堂で。でも、一応スタッフ陣は、別室。普段の教員用の食堂になります。そう、ワインを空けて、空けまくる人もいるのです。(指導者とは限りませんヨ・・・) もちろん、しゃべりまくり。笑いまくり。エーと、教会関係者も来ているのですが・・・

 

食べたらシエスタ・・・お昼寝ねと行きたいものですが、そうもいかず、さっさと次のレッスンに取り掛かります。個人レッスンに平行して、別室では、講習会本命の、曲の練習をしています。パート別に、あるいは4声まとめて、まったく驚くべき速さで進みます。

 

はじめのうちは、私も暇ができたら、練習に顔を出していました。久しぶりに見るグレゴリオ聖歌の楽譜。現代の譜とはちがい、本数が少なく、音符は四角い。また、日本の謡いのようなタイプ、線が“上下”しているだけのタイプもあります。これは毎日見ていないと、忘れてしまいます。基本はパリのノートルダム聖歌隊で勉強したハズなのですが、それからもう何年、耳でさっさと覚えていく子供より、ついていくのが遅いようなワタシ・・・これだから、楽譜のなかなか読めない人をばかにするものではありません・・・

 

休憩は午前に一回、午後におやつの時間。

おやつの時間にはきちんと全員におやつが配られるのです!いないと抜かされされます。

それが終わったら、毎日の本番、ミサの時間になります。ブールジュ聖堂へ、子供たちはユニフォームをもって通います。寄宿舎からそんなに遠くない所にあるはずなのですが、どうも、毎日通っていたらくたびれてしまいました。私も1年目は着換えていたのですが、やっぱり4月の大聖堂って・・・

寒いんです

2年目からは、もう歌うのもパスさせてもらいました。ミサって長い・・・

 

夕食後の練習はなく、子供たちはレクリエーションで、騒ぎまくっています。どこにそんな元気が・・・?

そして、夜のミサをうたって、長い一日が終わります。

 

 

春のロック祭・ブールジュの春

大聖堂へ行く途中、街がだんだんにぎやかになっていきます。ブールジュの春が始まるからです。ヘビーなスタイルをしたハードそうなヤングマンが増えていきます。わけのわからないカタカナを使ってしまったぜ。 耳栓も、ただで配っています。有料の企画コンサートから、勝手にやっている路上コンサート、カフェで演奏しているバンドなどが増えてきます。うまい人も下手な人も・・・

 

講習会の中盤には、みな疲れが出てきます。そろそろ、お昼ねのある日、というのが特別に登場します。私も、お昼ねという気分ではないけれど、もう、へとへとです。気分がたかぶっているので、夜は寝たくとも眠れない、寝不足でも、時間には目がさめて、8時過ぎには笑顔でみなの前に立っている、という、怖ろしい状態になります。ハイであります。

 

 

寄宿舎

この寄宿舎は歴史があるんだろうなあ、何せチャペル付きの学校なんだから・・・・と想像するのは、廊下のぎしぎしの音、部屋の床の傾き具合から。おいてある衣装戸棚の扉が、勝手に開いてしまうほどの傾きだからです。小さなベッド、たな、机。洗面台は、各室についています。子供の頃読んだ、姉妹のお話の寮生活を勝手に想像しました。洗面台が部屋についてるってこれだったんだあ・・・(ケティ物語だったかしら?)髪はここでシャンプー。シャワーは・・・4つほどのボックス式シャワーがありますが、生徒と同じ時間に行くほどの根性もないので、私は、みなの練習中にスキを見てこっそり。

 

日本で言う1階には、柱とか、がらんとした部屋、自販機のほか、何もナシ、2階が女子寮、3階が男子。4人ほど入れる部屋から一人部屋まで。私はさすがにひとり部屋。くっついた建物に、教室。

私は講習会の間、臨時に寮にはいっているだけなのだけど、壁のポスターは、実際いつも住んでいる子がかざったまま。いつも、とっても大きな、男性タレントのポスターがあったかな? ジョニー・デップだったらよかったな。部屋それぞれ、個性があります。寄宿生は、小学校から高校生まで入れるそう。うーん、週末に家へ帰るだけの生活、どんな気持ちなのかな?

フランスの私立学校は、宗教に関係しています。逆に、公立学校は、「宗教に関与しない」という条件なのです。

 

講習会が最後に近づく土曜日には、もうひとつの小さな教会でコンサートをします。歌うメンバーが、ひな台からおっこちそうな、誠に落ち着かない状況です。ここは、古い古い小さな教会。

寒いんです。

入場料は無料、正確には「お気持ち分をお払い下さい」という習慣があるので、休憩時間に、講習生が、かごを持って回ります。企画者の挨拶が、これまた毎年すばらしく、ついつい、ビザカードでも一枚進呈しようではないか、という気にさせられる・・・人は、まだないようですが。

 

最終のコンサートでは、毎年、なぜか指導スタッフも歌うことになっています。指揮者もうたいます。いいことで好きなのですが、さあ準備しよう、というのが、いつも直前。時間は、ひと一仕事終わって、夜中のようなもの。毎日の疲れが、泥のように溜まってきているころなので、4部のアカペラの曲で、誰かが音を外したり、ずれてしまったりすると・・・私は笑い転げてしまうのです・・・神聖なチャペルでねっころがって笑っていたのは私です。だって、おかしくて、歌えない〜。けんか腰よりはいいと思いますが、この状態もある意味「頭にきてる」状態。

 

そんなすさまじい日々も、日曜が来れば、無事におしまい。それぞれ、遠いおうちに散らばっていきます。

 

1年目は固まっていた私も、3年目にはすっかりなれました。作曲もする指揮者が来たときは、これうたって、とミサの直前に楽譜を渡されたことがありました。(夕方のミサはパスするつもりだったのに!)ちょっと現代っぽいが、そんなに奇抜でもなかったので、そのまま初見で、ぶっつけのソロでした。あまりいいお手本ではありません。でも、「どのが歌ってるんだろう?」と、主催者が首をかしげたそうです。そう、ちゃんと、「子供のように」聞こえたらしいです。うふふ。それはねらっていた。30歳はごまかせました。いや、20歳は。

 

 

 

もうひとつの大聖堂

大聖堂といえば、パリにもあります。あの、ノートルダム寺院です。何を間違ったか、来仏した次の年、私はここの聖歌隊に受かりました。スケジュールの多い専門学校だったのです。ミサ参加つき、と。教室は聖堂の裏にもありましたが、学校としての建物は、結構てくてく歩かねばなりませんでした。個人レッスンも、たくさんありました。朝早くからでした。ミサも、週何回もあり、練習ももちろんありました。

仏語がとろい割には、譜読みが速いというのが幸いし?練習も、マークされずに無事にこなすことができました。しかし、日曜もミサがあります・・・つまり、休みがない!

そして、大聖堂は・・・寒いんです

というわけで、秋から授業というのに、クリスマスミサにてネをあげて、中退いたしました。

 

レッスンはたくさんありました。週2回、声楽のレッスンプラス(先生はひとり) 週2回、各週で、それぞれちがうピアニストとレッスン。(つまり計4人を相手に格闘する) 豪華でしょう? 学費がとても安かったので、お得なはずなのですが、8時台にレッスン開始はきつかった。

出る声も出ないのでは? 復習している時間がないので、レッスンは私にとって多すぎました。ほかにはグレゴリオ聖歌の歌い方、楽譜の読み方を、ブリジット・レーヌから学びました。(ジェラール・レーヌのお姉さんです)私、弟さんのファンです!・・・・などとは、いえない私の当時の仏語のレベル。ほかには練習とミサのことしか思い出せないのですが・・・

寒かったんです。忙しかったんです。先生が多すぎたんです・・・

 

でも私のつたないフランス語につきあってくれた同級生のみんな、先生、事務の方々、ありがとう。

なにかとご迷惑おかけしました。

 

とにかく寒かった二つの大聖堂のお話でした。

<m(__)m>

 

雑歌屋もくじ

zakkayapapy@hotmail.com

 

 

inserted by FC2 system