Hommage 1 janvier 2008
追記
私が日本へ向かおうとしていた2007年4月1日、フランスでの生徒の一人、エヴが永眠しました。
数年にわたる乳がんとの闘いの末でした。
ときどき歌のレッスンを休みながらも、仕事復帰の希望に燃え、またその復帰が無理とわかってからも、
かねてからやりたかったという本格的なアクセサリー作りに集中する、というエネルギーでした。
放射線治療にも弱音を吐かず、髪のなくなった頭をものともせず、彼女はレッスンへやってきました。
時々、へとへとの声で「アキコ〜今日は無理だから休むわ」という電話がありました。
参加していた合唱団の6月の公演に彼女はすでにいませんでした。私は4月の日本公演には、彼女のくれたペンダントをつけて、舞台に出ました。
フランスへ来て、初めての生徒の訃報でした。4月1日、誰にも予感を感じさせなかったエヴらしい命日です。
2007年の11月にはKちゃんの命日にそわそわしましたが、それで終わると思っていました。
なのに12月、名古屋で参加していた“コール・コラーレ”の創立メンバー、内田さんが亡くなったとの知らせを受け取りました。
次のコンサートまであと2ヶ月ほどです。どうして本腰を入れようとすると、誰かが去っていくのでしょう。
けれども彼らは、私の背中を押してくれるような気もします。
泣き虫のために、訃報のたびに涙に暮れては歌うことができなくなる傾向のある私にとっては、大きな試練です。
でもそのエネルギーを受け取らなくてはならないのです。
2度あることは3度ある、ですむといいな、と思います。
でも、人の命は限りがあるものです。
誰でもこの世のおつとめを終えたら、どこかへ戻っていくのです。
コール・コラーレは、最近は各声部ひとりずつという編成で活動していたそうです。バスがいなくなりました。
活動に一区切りつけようと2008年2月3日白川ホールでのコンサートを予定していたそうです。
このコラーレが、コンサートを中止するとは、ありえませんから、この日はプログラムを変更し
内田さんの追悼コンサートになるそうです。内田さんも楽しみなことでしょう。心より盛会を祈ります。
みんなが健康でありますように。
2008年1月1日