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講習会の思い出・・・というか旅の思い出・・・というか・・・


日本でも講習会に参加しました。私立音大の場合、受験講習会というものもあるんです。(公立はさすがにありません)

忘れもしない、高2のクリスマスの頃。冬期講習会。トウキョウのマンモス大学まで乗り込みました。何故忘れもしないかというと、クラス担任が、行くのに反対したから。終業式よりも前から始まる講習だったんです。ぶっちょうづらをして、少し講習には遅れることにしましたが、確か、土曜の午後、制服のままで出発しました。今だったら、そんなこと無視して、適当に理由つけて、学校休んでいけばよかったのに、と思うんだけど。センセイもあれですね、翌年になったら必死で進学指導しなきゃいけないのに、どうして「反対」したんだろうか。未成年だからでしょうか。はっきりしません。今思い出しても実は不愉快なのです。なお、このときのクラスは学年主任だったのに、一番不良君の多いおもしろいクラスでした。

東京へついたあと電車を乗り継ぎ、あとは青梅街道をずーっと行けば、旅館にたどりつくらしいのに、タクシーで行かずバスに乗り、勝手に見当をつけておりちゃったので、迷ってずーっと歩きました。暗いのに、むちゃなことをしたものです。言葉が通じるんだから、聞けばいいのに。(過去の私はほんと、こんなことばかりです。)

お部屋では、お隣の、岐阜県の音高の受験生と一緒。名古屋では語尾を「〜だが」というところを「〜だげ」というのだ、と勉強しましたが、あっているんでしょうか?ほぼ受験予定の?この音楽大学はものすごいマンモス大学。でっかいなあ・・・・・

3の夏にも受験準備講習会に参加しました。このときは、ほとんど構内にある寮に宿泊。さいごに、夜中にさわいで、廊下ですべって頭打ちマシタ。部屋はとってもとっても狭いのです。5,6人部屋。学校の勉強机を片側に一列にならべ、反対側に2段ベッドがならんでいる。今もそのままなのでしょうか?ちょっと、きついと思います。食事の、お味噌汁、白ミソが苦手で困りました。名古屋は赤味噌だい

 

この大学の受験の日。近くて便利だったから、張り切って寮をとろうと早めに申し込みをしたら、大学から一時間以上もかかるとても不便な寮を与えられてしまいました。受験当日は、ゆ、雪。とぼとぼ、情けない思いと、遅れてはいけないという、焦りとで出かけました。早めに申し込んでしまったため、歌の受験番号まで早かったのです。寮ではふたり部屋で、在学生と一緒。狭い部屋に、ピアノも置いてあるのです。とはいえ、あまりに朝早いので、そこで朝から発声はできません・・・。

ともかく、無事に滑り止めはできました。

寮をでるとき、誰かがビニール袋を必要としていたので、たまたま持っていたのを出したら、寮のおばはんにほめられたのを覚えています。ウーン、そんなにほめるべきことでもないよ。

 

この大学の講習会にはその後、古楽講習会などでお世話になりました。実家のすぐ隣には、実は私立音大があるのですが、あまりにも近くてそこへ行くのはイヤでした。だってうちから見えてるんだもん。あそべやしない・・・隣の中学校(出身校)の、道2本向こうにあるだけなんて、殺生な。

 

講習会の私のたのしみは、結局、「住むところ」だったのかもしれません。もう一度、人のところにお世話になったときは、アパートに住んでいたような気分でした。「知らない街」をうろついてみたり、もうそのときは大学生だったので、マンモス校キャンパスを楽しんでみたり。トウキョウって、電車の乗り継ぎがたいへんなんだ・・・ということも、身を持って知りました。生活という意味では、首都圏にエンはなかったのですが、こうして時々「旅行」しました。

 

地元で参加した講習会はたしかひとつだけ。なぜか劇団四季の講習会。同じ大学の後輩がいて、もりあがりました。(ホラね、内容おぼえてない)のち、四季の講習会には、横浜の方の新しい練習場ができた時にあったので、参加しました。アザミ野だったと思います。5日とか1週間くらいだったかな?これが・・・つらかったです。コーラスラインをみなで踊ったのですが、私は振り付けを覚えるのがむちゃくちゃ遅いんです。ミュージカル希望者やバレエ、ダンスをやっている子が混じっている中ですから、へたっぴいは目立つのよ。それに、レオタード着て、肌色のタイツなんて、まだ丸みがあったころなので、かっこ悪かったかな。今も別の意味で丸いけど4拍子の間にいろんなことができるダンス。その4拍子の中の振りが、なかなか体にはいらない、という状態。

練習場に行くのに、1時間以上かかる若者用の宿舎に数人、同じ講習会に参加する子と泊まりました。分からない所を教えてもらったり、もう電気消してる中、ひとりだけ踊ってみたり。バレエのレッスンもすでに受けていたので、自分がどんくさいことは良くわかっていましたが・・・

食堂では3色そぼろごはんがおいしかった〜あの中でその後、実際四季に入った子も、いるのではないかな?

 

キャッツをトウキョウで公演しているころでした。帰りにはもちろん、席を取ってもらい、見てから帰りました。

 

四季メンバーの中に自分の大学の先輩を発見したり、若手が指導してくれたり。プログラムで眺めていたあの人たちが一緒にレッスンしてくれるなんて、と、心地よかったです。(ミーハーですもの)もちろん、スーパースターは、現れなかったけれど。(市村正親さんなんて直にお会いしたかった)舞台裏にも目を向けさせてくれ、舞台の小物製作なんてこともしました。もちろん歌のレッスンもありました、集団でしたが。

 

東方面には、のち、都留と国立(くにたち)大学へ古楽講習会に。

何でミュージカルから古楽か?。さて?(でも、私ひとりじゃないし〜)

 

国立大学では、公開レッスンで、エマーカークビーの指導を受けました。今おもうとやたらに難しい曲をもっていったような気がします。

でもそのときは一生懸命だったんだから、許して!

都留へは毎度「どうやって行こう?」と悩みました。行き方が分からないのです。そのころはひとりでそういうことを調べる能力がありませんでした。でもいつも、まわりにつるむ人、という仲間がいておお助かり。大学でレッスンですが、まわりはなかなか自然がいっぱい。大学の食堂では、なぜか全員参加で食事つくりをしましたっけ。宿泊は大学寮だったと思いますが、まったくよく騒いだこと・・・・夜になると、つのだたかしさんはじめ、先生方も集まって、一晩中起きて笑い話ばかりしてるんですから・・・龍之介物語とか・・・そんなわけで、四季の講習会とは別の意味で、へとへとでした。

大勢の人が集まるので、事務局の方もてんてこまい。レベルもかなりいろいろいで、先生方も大変だったような気がします。なんといっても時間の割り振りが大変。アンサンブルの勉強も大事。それこそ、そのための良い機会なので、何とか時間をみつけて練習したい、でも・・・・楽器(チェンバロ)のせいで、部屋が限られる。

 

音楽三昧の方も、指導者として、また演奏に来ていらっしゃったと思います。

 

最後の夜は、寮で、お楽しみコンサートをします。私は、“シャンシャン台風”(字がちがうよね、ごめんなさい)の曲を、リュートで伴奏してもらって歌いました。歌の有村先生に「他の曲も、こうやって(気張らずさらりと)歌えばいいんだよ」といわれました。これも、けっこうショックといえばショックだったかな?・・・いい意味で。でも今でも忘れませんし、だいぶそれに近づいたと思います。

「夢を見るわけを教えて欲しい、もう涙は見せないから」だっけ?春の風〜・・・といううたです。

 

日本で最後に行った古楽講習会は、九州は、小国(おぐに)。どうやって行こう?飛行機で福岡まで飛んで(高かった!)、そこからバス。

福岡でとりあえず、みどりの漬物の入ったラーメンを食べ、バスでえんえんと、山道、水の淵の道・・・こ、怖かったこと。

 

さて、バスを降りたはいいが、ここはどこ?ここは温泉街?講習会場は?宿舎は?あとはタクシーで行くべき?

またおなかがすいていたので、とりあえず喫茶店に入りまして、そこで、行き方を聞きました。ところが、あのー、ことばがわからんとです。みなみはぜんぜん、なまりがちがうとです・・・・ききかえすわけにもいかん。

 

「免許持ってる?」(と、お国の言葉で)

エエ?免許?

「そこ、私もあとで行くから、私の自動車使っていいよ。」

え?聞き間違い?えええ?

私、免許もってきたっけ?あるある、んじゃ。

 

信じられない、今はじめてあった人間に、クルマを貸してくれるなんて!!!感激でした。

 

とはいえ、なれない車は怖い。しかも走ったことのない山道。日も暮れてきたし、ゆっくりゆっくり行きました。

一番心に残っている出来事です。

 

なかなかいいお宿、いや講習会場でした。全て同じ建物で、ただしお風呂はないというので、近所の無料のぬるい温泉へいったり、(寒かった)ホテルの温泉に行ったり。だだっ広い畳敷きの会場に、みんなでごろーっと寝て、昼間はそこでレッスン。寝転んで人のレッスンを聞いてたのは私です。牧野先生、すみませんでした。

会場移動に無駄な時間をとられず、だらだらと?でも熱心に勉強に集中していたと思います。イギリスからのミュラー先生、波多野さん、楽しかったです。

根性!じゃなくて、別の合言葉で、ミュラーとしこを踏んだ写真があります。気合!タイミング!かな。

 

このころは、なかなか人の話に入るのが大変でした。緊張します。話を聞くのは好きなんですが、話のキャッチボールまでには至らずなのです。フランスへ来てかなり時間をかけて、成長しました。自分からの話題も少なかったということなんでしょうね。

 

講習会の思い出、というより、やっぱり残っているのは、旅の思い出話ですね。

 

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お世話になった方々 

つのだたかしさん(タブラトゥーラ)・音楽三昧・牧野正人さん・波多野睦美さん・宇田川貞夫先生・有村良祐先生・岡田龍之介氏他・・・

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