サンドの家は遠かった

 

日本の一部の文学は大好きですが、フランスの文学にはトンと縁のない私。

でも・・・行ってきました、ジョルジュ・サンドの家。

NOHANTノオンという町に、彼女の家が残っています。現在は、町によって博物館として運営されている模様。彼女は、この家で、おばあさまと暮らしていたそうです。サンドの母親は、鳥やさんの家族出身、商売人だったため、結局は、父親が亡くなったのちも、この家に受け入れてもらえなかったのだそうです。ジョルジュ・サンドが生まれたのは、実は高貴なおうちなのです。

ペンネームは男性名ジョルジュを名乗り、本人もズボンをはいて颯爽と文壇に登場したとか。しかも、本来gerorgesなのですが、最後のsをとって、目立つように。結婚して二人の子もいましたが、実は、本読まな〜い、音楽うっとおし〜い、という人が相手だった、ま、別居状態だったそうです。共通点は、子供しかいなかったのです。でも、その頃、貴族階級には、そういうことが多かったとか。それで、男性の方は、女性にお金を渡しておいて、別居のまま、好きなことをさせていた模様・・・それが、サンドにあてはまるのかどうかは、わからないけれど。

この時代に、サロン文化が発達したのは、そのためだそうです。

 

ノオンまできたのは、ショパンのため。40歳に満たない生涯、サンドとの恋のウワサか、プラトニックラブか、友情か?

その中が壊れるまで、サンドはショパンをこの家によく招いていました。

家といっても、特別に大きいわけではありません。一階には、ひろーい台所。最新型オーブンを手に入れたり。料理人は気に入られ、ここに直接階段がつけられて、2階に住んでいました。ブンガクに強い人には、ここに「あの、大きなジャムを作ったおなべ」があります。床は白く見える、フランスではよくあるタイプの?タイルです。3階建てですが、訪問できるのは、2階まで。一階は台所、サロン、寝室、サンドの書斎。2階には“ホテル”ならぬ、友人たちを迎えた部屋、図書室と、20世紀に亡くなった、サンドのお孫さんの寝室があります。

 

次の部屋は、サロン。真ん中に、サンドのお孫さんによって再現されたという、10名ばかりのためのテーブルがしつらえてあります。名札つきで、文豪の名がちらほらしているはず。この部屋には、家族の肖像画もかけられています。シャンデリアが、見事というかきれいというか、ちょっと今日日は使えないかな、というか。この部屋の床は、白と黒のタイルです。

片隅にはアップライトピアノがありました。木目が見える、美しいプレイエルです。ショパンが使った楽器ではなく、共通の友人である歌手ポーリーヌ・ヴィアルドが、ショパンの死んだ後に、サンドに贈ったそうです。現在のピアノより、右左、3鍵盤ほど少ない楽器です。

次の部屋は、寝室。娘が使用していたそうです。子供用の小さなベッドもいれてありました。テーブルと、本を読むためでしょうか、その台が、こまかな細工された木でできていて、とても美しいものです。木目の床。

 

その奥は、サンドの仕事部屋。「ベッドも入れられないくらい狭い“押入れ”で仕事しているの」といっていたそうですが、なんの、うちより広いんじゃない?祖父からのバイオリンと、ハープも展示してあります。彼女は鍵盤楽器、ギターも弾いたそうです。

 

お次は、劇場。一角に舞台をしつらえてあります。もう一方の壁には、マリオネット劇場が、壁に組み込まれています。これは、高い位置にしつらえてあります。地元の庶民を集めて、上演したそうで、立ったまま見られるようになっているのですね。それなら人数もたくさん入ります。床は、現在でも使われる、レンガのような色の、ごっついタイル。サンドの息子は絵を書いていました。彼が、この劇場内の装飾をしています。狭いけれど、雰囲気が出ています。サンドが演劇作品を書くときは、ここで実際に上演・練習させ、脚本を整えてからパリに送り込んだのだそうです。

 

幅の広い螺旋階段は普通でしょうが、なんとも不思議な壁の色。パステルカラーを、水色、黄色、ピンク、と上手に取り混ぜた感じ。

これは、息子モリスの作品だそうです。階段の手すりは、鉄でもなし、木でもなし、冷たくない、不思議な材料。腰くらいまでの高さしかないのでもたれてはなりません。(もしかして、背が低かったのかしら?)

 

のぼりつめると、左右に廊下が通っています。ここが、「サンドさんちのホテル部屋」の数々。

入れない部屋もありますが、右の方から入っていきます。各ドアにナンバーの札がついています。

最初の部屋は、水色の装飾、いかにも当時の装飾。次が図書室。なぜカメラが置いてあります。

次も図書室。戸棚が閉められ、本は見えず。ここがショパンの部屋だったのかしら?

 

ショパンの部屋は、中身は何の形跡もとどめていないそうですが、彼の要望で作った2重ドアが残っています。

“手作り”の2重ドア、果たして効果はあったのでしょうか?

 

だんだん印象が弱くなってきた頃、最後に、サンドと10年間一緒に暮らすことができたというお孫さんの部屋。8年前に、壁紙をはがしていったところ、オリジナルの壁が見つかったので復元されたところ。うーん、ジャポニズムというより、中華な雰囲気。

 

ショパンの雰囲気を尋ねに行ったつもりでしたが、さすがにこの館はサンド一色でした。

「サンドは、ショパンを保護していたし、夏に来るたび、プレイエルピアノを借りていたし、カミーユ・プレイエルも調律にやってきた。そんな費用を捻出しなくてはいけなかったのだから、本の執筆・出版に熱を入れていたんですよ、すごいでしょう。という話でしたが、あれ、プレイエルはスポンサーじゃなかったっけ?プレイエルからショパンは楽譜を出してたんじゃないっけ?

それから、サンドとショパンの中が壊れたのは「家庭の事情」らしいんだけど、ガイドさんいわく「ショパンが、サンドより娘を好きになっちゃったから」とか。あれ、単に、娘が結婚したがったときに、そっちの味方をしてただけじゃ・・・?と他で読みましたが・・・?

 

息子の方は“サンドが気に入った人”と「結婚させた」とかで、お嫁さんとはとっても仲がよかったそうです。

「だって、ジョルジュ・サンドとこの人は結婚できないもの」だそうで・・・そのまま受け取ったら、ものすごく子供を押さえ込むタイプのお母さんなのかな!?そしたら、娘ソロンジュがいやになってしまったのも、わからないでもない?!

ショパンを愛した?といっても、母性的に抱え込んだ印象を、さらに受けます。

 

家はちいさくとも、見るべきであったのは、庭。広い広い庭があるようです。

サンドの最後の言葉は、「緑を絶やさないように」

そのとおり、今もきれいな庭です。大きな大きな木もあります。

 

 

門のすぐ前には小さな教会。小さな町の中心にあったサンドの家。

なんだかんだいって、十分な家と土地をもらっているし、お金には不自由していたイメージはしない。でも、頭のよいこと、とにかく行動力のあること、それはすごそうです。後に、「やっと頼れる人がみつかった」という恋人に、家を他所に買ってあげて、そこで過ごすことも好きになっていったとか。サンドのこの家は、まさしく芸術家たちのホテルになっていたらしい。

ノアンのあるベリーという地方は、緑が大変美しいところ。秋の美しく晴れ上がった日に行ったせいもありますが、なだらかで、どこまでもなだらかで、農地が続き、並木が見え、牛や馬、羊がのんびり草をはみ・・・もう、まるでフランスみたい!ベリー地方といえば、カテドラルのあるブールジュも同じ地方で、お城もたくさんあります。昔から、王様や貴族などが常にいて、どちらかというと、「豊かな」地方だったのでしょうね。この家も、、他に数件、宅地内に使用人用と思われる小さな家があります。そして、今回はのぞきそこなったお庭は、とても広そうです。きっと、畑も、果物のなる木もここにあったのでしょう。

 

出発地点はフランスの真ん中あたりのブルゴーニュの田舎。ベリー地方のブールジュまでは1時間ほどかかります。「今いるところから1時間くらいでいけるだろう」とたかをくくっていたところ、道草などで、やはり倍以上かかりました。パリからノアンは250キロ、三日三晩かけて、サンドたちはパリから移動したそうです。ショパンは、夏の間はここにいましたが、冬を嫌って冬はパリ住まい。なるほど南仏じゃあるまいし、お世辞にも、冬は暖かいとはいえない。(たぶん)おそらく農民はいっぱいいたでしょうが、周りは、現在住宅(と、三ツ星ホテルファデット)しかなく、何もないのと同じ。映画館もないしコンサートもなかったのは当然としても・・・寒くなったら、灰色の冬のフランスの田舎です、わびしい気持もつのったかもしれません。

ショパンは、“パリジャン”だったのでしょうか。

 

サンドの本、ショパンの本から、ジャム、料理の本、お花模様のなつかし風お皿一式、ヤマハ制作と思われる、楽譜模様の文房具、絵葉書エトセトラ、を売っている充実したお店も見てきました。手回しの小さいオルゴール6ユーロは高いな。CDもいろいろ。ショパンのものもあります。サンドの作品を有名俳優が朗読したCDもあるのです。中には、「ベリー地方の音楽」のCDがあり、説明にはショパンの名もサンドの名もありましたが、下手な民謡だったらどうしよう、と思って買えませんでした。同じラベルで、アコーデオンのCDもあったり、ちと怪しい?

 

 

山のような本の中から、つい、ポーリーヌ・ヴィアルドの名につられ、彼女とサンドとの書簡集を買ってきました。ポーリーヌ・ヴィアルドは、歌手で作曲家でもあります。ショパンとも、仲がよかったそうで、サンドが「ショパンの部屋に閉じこもって音楽をしている」とぼやいていたらしい?彼女が、ショパンのピアノ曲をアレンジした曲もあります。

あとは、フランス制作の映画もあります。(ソフィーマルソーが出演)ポーランドで数年前に作られたらしい作品はありませんでした。時代物のプレイエルピアノによるコンサートの記録もありましたが、カセットテープ、1997、1998年のものでした。

 

ちょっと期待はずれの面もありましたが、ショパンが一時こんなところで生活していたんだな、と思うと、それも楽しい。ピアノを2階に入れるんじゃ大変だったろうに。音響が特別よい部屋もないし・・・でもあの台所だったら、人がいくら来ても平気そうだな。サンドは狭いもの入れで仕事してる、って言っているけど、なんの、書くには落ち着けそうな部屋です。

 

さて、この二人の関係はやっぱりよくわからなかったのですが、サンドあって、ショパンあり、は、素直に認めた方がよさそうです。彼女との関係がある間に、たくさんの作品が生まれたようですから・・・

 

 

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