教えること関係

教えるのが好き・声楽編

ピアノの先生

国家試験について

レッスンの思い出

 

審査員体験

 

 

 

音楽の雑多な話

音楽の雑多な話

ミュージカル

声について

講習会

 

 

今の仕事が好きなわけ〜ピアノクラス編

 

なぜか私はピアノの先生です

〜この日本人の先生は、片手ギブスで、初レッスンに登場〜

 

 

きっかけ 文化センター はて実際は  楽しいとき  楽しい教材探し  困ること  私の勉強  番外編

 

 

きっかけ

フランスでは、教える仕事は資格がないと見つけるのが難しい、と思っていたし、実際そのようです。ところが、舞い込んできた、ピアノクラスの話。

 

ある年、ピアノの先生募集を人づてに聞いたので、履歴書だけは送ってみましたが、これがナシのつぶて。(やっぱり)

翌年9月、新学年が始まる時期、電話がなりました。履歴を送っておいた学校からではなく、その“親戚関係“の学校からでした。

ピアノのクラス受け持ってください、と。「面接に来い」じゃなかったのです。「空いてますか。来週からです」

 

ちょうど空いている曜日でした。・・・っつーわけで、いきなりスタートでした。

関節リウマチの手術をし、やっと左手のオクターブが10年ぶりに弾けるようになり、喜んでいた所でした。だから、話がきたとき、売り言葉に買い言葉、じゃなかった、とにかくためらいもせず、ハイ、と答えてしまったというわけです。

 

ウラを明かせば、このディレクターに会いに行った日から仕事を始める日の間に、夏の間に切れてしまった指の腱の手術を受けたので、初レッスンの日には、右手がギブスの中。内心ディレクターは顔色を変えたことでしょう。でも、別に先生がピアノを上手に弾ける様になるのが目的ではないから、いいんですよ。

日本でも、これが仕事のひとつでした。声楽出身でピアノの先生、というケースは、日本でも多いと思います。実際、ピアノ希望の生徒さんの方が多いのだから、わりあいとして、ごく自然だと思います。現在の日本はどうでしょうか? 

 

 

文化センター

ここは、音楽学校ではなく、Centre d’Aimation. アニメーション・センター???文化センターとでも訳しましょうか。パリ市の文化・スポーツセンター、といったところです。音楽学校では随時に試験ありですが、そんなことはなく、有料でピアノのレッスンだけとれるのです。大人にも子供にも門が開かれており、定員まで入れます。まあ、だから資格のない私でもOKだったといえます。

 

 

はて実際は

ふたを開けたら、見事にフランス人ばかり、お子様ばかり。大人がひとりだけ。前から通っていて、引き継いだ生徒は・・・今までやっていても楽譜の読めていない子もあり。(なお、日本の音楽教室では、前任の先生からの引き継ぎが個人的にありましたが、ここでは、なーんもありません。)

新しい生徒では、「ピアノないんだけど、興味があるみたいで、ちょっとやらせてみようとおもってえ〜」というノリのおかあさま。

・・・・・・いや、こんなケースは日本でもあるある・・・・そう思って始めましたが、たかが20分にも集中できないこと・・・こちらの小1は、まだ字が読めない。楽譜の方が読むの簡単だと思うんだけど、それも、進まないことおびただしい。日本の幼稚園では、静かにしてセンセイのお話を聞くこと、を学ぶと思うんだけど・・・なんだか勝手が違うんです。

 

このセンターにはピアノ以外にもジャズダンス、クラシック、絵画、漫画など、いろんなクラスがあります。生徒の中には、親ではなくベビーシッターさんと来て、半日以上そこで過ごしている子も来ました。ピアノのレッスンの前にダンスがあるので疲れるのか、集中している日は珍しい。「あくびするときぐらい、手を口の前に当てなさい」・・・・・・おかあさんにならなきゃいけないのか、と思いました。半日以上センターで、いろんなクラスをはしごするなんて、保育所がわりなのでは・・・?と思ったものです。

日本でのとても困った経験は、ほとんどありません。ひとりだけ“問題外”で、イスに座らせるまでが大変、という程でした。お母様は、私から叱って欲しかったのかもしれませんが、私はそういうことは好きではないの・・・・ピアノは教えますが、しつけ教室ではありませんので。たいていは、時とともに解決しました。

 

今でもとまどうのは「一回のおためしレッスン」です。歌でもピアノでも、ある期間、やると決めたなら、続けないと伸びないからです。ピアノでも歌でもすでに習っていて、はじめからワンレッスンのみ、と決めたアポイントメントなら、こちらもかいつまんで指導できます。でも初心者には意味がありません。子供をピアノの前に20分座らせてみて「気に入った? やってみたい?」 と聞くのは、なんとも無理がある事だと思います。あら、困ったことばかり述べてしまいました。困ったことにはねたはつきません

 

 

楽しいとき

ピアノで好きなのは、子供が成功したとき、とおおおっても嬉しそうなとき。

勝手にピアノを触らせておいて「すごい発見!」をしたとき。

 

生徒が

「できた!!!」

 

というのは、なんだか、力があるのです。こっちも、勇気が出るのです。

別に私のちからでできたわけじゃない、あれやこれや言うけれど、結局は本人の力なんだから。

 

苦労するのは、数年続けているのに、楽譜読むのがとても遅い子。両手が一緒に動かない子。できることもあるが、そのレベルならできていいはずの他のことができない子。ある程度進んでいるのに、これはどう見ても無理やり進ませてきたのではないか、実力と見合っていない、と判断する場合・・・などなど。逆に、まっさらでやってくる子(しかもピアノがない子)の場合は、苦労というより、責任重大と感じ、慎重になります。一番・・・という苦労はない、あるいは、苦労というより、どうしたら伸びるのか、という永遠の質問でしょうか。

 

それこそ、ピアノ教授国家資格の準備講座でも受けたくなります。でも、今の私のピアノ能力では無理です。指が回らないので弾けません。逆に言ったら・・・・薬指が動かない、困ったあ、と言う気持ちは、今、ものすごくよくわかるのです。腱を切ったのが、この指です。切ったときには、持ち上げることができない、意思に関係なく落ちるので、パソコンのキーを勝手にたたいてしまう・・・手術した今は、パソコンには使えますが、ピアノを弾くまでには至らず、しかも、よくネックとなる「手首を柔軟に」が、いんぽっしーびれ、impossible、手首が固まってしまってまがらないんだから、なんとも仕様がないのです。

昔はそんな気持ち、わかりませんでした。だから、今は、生徒には、そのうちなんとかなるのよ、とのんびり構えているのです。

 

そして、そんな手でも、何とか弾けるものもあるのが幸いです。

自分が大曲を弾けなくても平気で教えているのは、私がピアノを弾く場ではないからです。見本を見せて「こうやって弾くのよ、真似しなさい」といっても、生徒がうまくなるとは限りません。いかに、生徒のからだにピアノをひく動きを感じさせるか・・・の方が大事だからと思っています。おお、立派そう。気持ちは、マラソンコーチです。コーチが、コーチされる人同様に走れるとは限らないというわけです。

 

日本での3年間の経験も、とても役にたっています。また、ピアノの指導について、我が師、と間接的に仰ぐ人はいます。こちらで知り合ったピアノの先生の資料もためになるし、そういう人の中には、誰々さんの生徒の誰々の直系の生徒・・・という人もいます。“某・名ピアニストから直伝の運指”なんていうのも、みつけられます。(こちらでは運指をとても重視します。)こうして、自分で勉強したわけではないことも、指導にあたっては納得した上でとりいれています。

 

 

楽しい教材探し

今も昔もかわらぬ私の癖は・・・教材探しです。新学期には、ついつい財布の紐がゆるみます。日本でもおもしろい教材を目にしてきました。毎年、いろいろな新教材がでているのではないでしょうか。こちらでは、新しいものは、あまりたくさんは出ないような印象です。日本で15年前ニ使っていた教材が、数年前からやっと仏語版で出版・・・ということもあります。日本と比べると、楽しみは少ないのですが、お財布は少し助かります。

 

声楽クラスでは教材探しの楽しみはありません。曲探しは必要ですが、ピアノのように、進み具合を計算に入れて作られた教材、段階を経て進む教材は、少ないのです。日本でコ―リューブンゲン、コンコーネ、ヴァッカイ、イタリア古典歌曲・・・あとはパノフカ他という順で進むパターンを経験してきましたが、これとて単に曲集の積み重ねとも言えます。ですから、ピアノはいいなあ〜なんて時々思います。

近年、ソルフェージュをはじめてする人の他の歌の教則本というものが出され、試しています。もちろんソルフェージュを知らない人には説明付きなのでうってつけですが、歌としてはすぐ難しくなり、いまひとつ納得が行くものではなく、結局は歌集代わりです。なぜか仏語の歌が少ないのも欠点かもしれません。その点、ピアノ指導の教則本は楽しいこと! 納得のいくこと!声楽は、歌は誰でもうたうものだから、声は誰でももっているから、ちがってくるのでしょうか。

 

小さい生徒に的をしぼった教材は、結構目につきます。字が読めない生徒を、いかにひきつけるか?

でも、日本の物ほど楽しくはないように思えます。シールがついていても、なんだか「しけてる」のです。それに、分業好きだからか、たいていソルフェージュの本は、別になっている。ソルフェージュの教材は、ものすごくたくさんあり、レベル別になっているので、こちらまでは見切れない、という具合。音楽学校では、ソルフェージュは、楽器とは別科目になっているのです。

 

 

不満

ため息つきながら付け加えるとね、年間、約33回前後のレッスン。月によっては2回しかレッスンがありません。

そして7週間ごとに来る、2週間のバカンス。

 

日本では、年44回くらいがふつう。夏休み中も日本はレッスンがあり、お盆・新年の頃に1回か2回レッスンが続けて休みになるくらい。フランスは、毎学期2週間のバカンス、夏は2ヶ月のバカンスという学校のリズムがあり、ピアノのレッスンもそれに従っています。だから・・・進むわけないんだってば!! 1週間練習しなかったら、その分、もとにもどるんだから・・・2週間バカンスがあると、3週間ちかくピアノにさわらないということにもなります。その分3週間もどったところから、レッスン再開という気分です。

また、日本は月謝制のところ、こちらは年間3回に分けて全額を払います。払い戻しなし。途中で止めたいと思ったら、払いゾン。始めるにも、しり込みするでしょう? 先生の立場としては守られていて有り難いのですが、生徒(いえ、親)にとっては、ものすごく不便です。

 

 

私の勉強

フランスの子供の世界を発見するのも楽しいです。たいていの子はものおじしないお喋りで、ああ、日本とちがう!!!

日本のもじもじしたおとなしい子、なつかしいです。そして、私のフランス語の勉強にもなっている・・・はずです。常に気をつけなくてはならないのですから。

 

大人相手ではありませんが、ここもまた社会勉強。子供から、学校の話をきくのもおもしろいです。だって、私自身はフランスの小学校に通ったことがないから、何聞いてもおもしろい。音楽の授業の様子を聞くのが、楽しみ、というか、がっかり、というか。だって、楽譜を読まずにうたうだけだったりするから。一方で、私立の場合、まともにやっている音楽の授業というのもありで、学校によりけりだなんて・・・

ちょっと、あきれています。

 

片手ギブスではじめたこのレッスン、一生懸命だけれど、いつまでもつだろうか?とも思うし、いつやめることになってもいいかな、とも思います。日本にいたなら、おそらく障害者に入る私の手の状態。そんな状態で、ピアノを教えられるのが、とてもありがたいのです。

 

機嫌の悪い日に、昔練習した難しい曲を耳にすると、涙が抑えられないこともあります。

もう、決して弾けっこないからです。

 

また弾けなくなる日がくるいかもしれない? でも、教えられるものなら教えていたいです。体がついていく限りは。

 

手のあれこれに関する事情は「モンマルトルのあいあい」へどうぞ

 

番外編1

2年目の今年は、高校生の男子が入ってきました。デ、デカイ。私より背が高い・・・二人ともピアノ経験者、でも譜読みは、速いとはいいがたい・・・進み具合も、簡単とはいいがたい。でも、練習してきます。この年で自ら来るのなら、と、その点に関しては、信用しています。

小さい子供と違い、ふたりとも、私より手が大きく、もてあまし気味。ピアニストのつてを頼って、ヒントを請い、今まで使ったことのない教材を使うことにしました。バルトークのミクロコスモスと、ノートン(ウイルス対策じゃなくて)のジャズピアノ。運指、テンポを守る、一曲が長すぎない、という点で、何か実になるのではないか、と願っています。ノートンには、ピアノ4手用の曲もあります。(つまりデュオ) とても素敵な曲ですよ。

 

番外編2

彼らは手がでかい。でっかい。オクターブどころか、10音分くらい、簡単に届いてしまいます。逆に、黒鍵と黒鍵のあいだに指を挟むのが怖いようで、やけに鍵盤の手前で指を丸めて弾く傾向があります。日本ではピアノは女の子が多いし、苦労してショパンなど弾きます。でも、歴代の名の知れた作曲家は、たいてい同時にピアニストだったり、先生だったり、そして、たいてい男性です。ショパンもリストも、男性。日本人女性は苦労させられるけれど・・・あれ、男性の曲なんだよね、と思えば、苦労があるのは当然かも。反対に、細かいところは得なのかもしれませんね。でも、あのオクターブとかが、かっこいいのよね・・・

 

 

 

雑歌屋もくじ

 

zakkayapapy@hotmail.com

 

inserted by FC2 system