履歴 番外編
とだあきこ〜歌うリウマチ患者〜
小学生
ピアノは幼少から学ぶ。ピンクレディのサウスポーをピアノ伴奏にアレンジしたのは4年か5年の頃。学校の音楽の授業で聞いた「魔王」「流浪の民」などにもあこがれ、ひとりですべて演奏したいと願う。ベルサイユのバラ全盛期にタカラヅカの洗礼を受け、それまで地声でしか歌わなかったのだが、マリーアントワネットの裏声に突然開眼。そのおかげか、小学校6年生、合唱団の最初で最後のオーディションに無事合格。
中高時代
中島みゆきやポプコンにあこがれて、ピアノの弾き語りでシンガーソングライターになりたい、と願うが、まもなく作詞、作曲能力のなさを自覚する。
高校3年間
文化祭ステージには、バンドや弾き語りのソロで欠かさず出演、4階の音楽室よりアップライトピアノをおろさせる。
大学および院ではクラシック声楽専攻。
大学が終わる頃より、アカペラ(無伴奏)のルネッサンス音楽のアンサンブルに参加。バロック音楽にも興味を持ちだす。
高校のころからのミュージカルへの熱も冷めず、踊りの下手さにもかかわらず、2度、歌って踊る舞台に出演。
大学在学中はワグナー、プッチーニを好み、現代音楽にも興味をもつ。作曲の新作発表にしばしば参加する。
高校で音楽講師を勤める間、生徒のお陰でいろんな音楽を楽しみ、それは西洋のロックから、日本のインディーズにまで至る。
声楽アンサンブルを通して、モンテヴェルディの第一、第二作法まで作品に接するうち、再びソロでも歌いたくなり、フランスバロック音楽が気に入ったので、
1992年に来仏(フランスが気に入ったわけではない)
ベルサイユ宮殿のチャペル及びオペラ劇場で歌う機会があったが、実は、肝心の城も庭も、未だに見学していない。
1998年、関節リウマチであることが発覚。
以後、日々の治療にはげみ、3度にわたる手の手術を受け、現在、自称似非ピアニストとして復活中。
「歌うリウマチ患者」と名乗ることを勝手に決意。
うら演奏履歴
パリ・ノートルダム寺院聖歌隊に初の日本人ソプラノとして参加。ミサをつとめるが教会の余りの寒さのため、
秋に始めた聖歌隊を、クリスマスにてそそくさと退団する。(こういうことをするのは、おそらく初の日本人?)
もう2度と寒い教会では歌うまいと誓った割には、その後も教会でのコンサートが大半を占める。
妊娠中、ブリテンのオペラ「小さな煙突掃除屋」に姥乳母の役で出演。舞台でフランス語のせりふを話す。喫煙する学校長に、何もいえなかった。
うら講習会歴
クラシックバレエを大人になってから数年習う・劇団四季の講習会2回。あざみ野のあたらしい稽古場での講習会にも通う。コーラスラインの振り付けがなかなか入らず、宿舎で夜な夜な一人で踊った。フランスでは、クリスティアンヌ・ルグランCristiane Legrand指導のジャズの講習会を受け、コンサートに出演、ヌガロの曲を歌う。
(シェルブールの雨傘を作曲したミッシェル・ルグランの姉。スイングル・シンガーズ旧メンバー。たいへん優秀な歌手です。)
他の演奏歴
ミュージカル「ある馬の物語」初演に参加 名古屋舞台芸術協会制作 (現・俳優館) 当時は、なぜかバレリーナより細かったらしい。
名古屋芸術創造センター制作ミュージカル「回転木馬」に参加。
緑区のブラスバンドをバックに、「オペラ座の怪人」ソロ
バンド歴・高1より高校講師をやめる際の卒業ライブまで数回・・・略
アメリカでジャズ、シャンソンを歌う
2009年、上記の緑吹奏楽団の20周年公演に、アートピアホールでソロ。
映画について
映画「メルシー、ドクターレイ」Merci… Dr.Rey! (A・ルドヴィック監督初作品)に、出演。
ジェーン・バーキンと共演した。ことに、しておこう。
オペラを演じているときのオペラ歌手の役。セリフがなく、姿かたちだけの“シルエット”というそうだ。オペラ作品は、プッチーニ作曲の「トウーランドット」で、リウ役。顔はアップになったが、声は残念ながら他人のもの、口パクである。どっちにしろすごい化粧で、自分でも誰だかわからない。
Jane Birkinジェーン・バーキンの他にも、実力派のすばらしいキャストぞろい。
リウ役に嫉妬する主役、映画の主役でもある貫禄ある歌姫・ディーヴァを演じ、舞台上で「トゥーランドット」を演ずるのは、Dianne Wiest ダイアヌ・ウイースト、
Academy Awards
, Emmy Awards
, Golden Globe Awardを受賞という女優。
彼女は、私がのちに大好きになったジョニー・デップ氏出演の映画「シザーハンズ」で、ハサミオトコ、エドワード君を発見して、家に連れて帰る大事なお母様役だったのだ。
(この頃は実は映画に興味がなかった。)
私のシーンは、ジェーン・バーキンたちはバスティーユオペラの客席におり、ダイアヌ役と私の演じる所を見ていることになっている。
おかげでバスティーユデビューを果たせた。いやはや、映像とは、かくもありがたいものである。監督の初作品のせいか、受けにくいのか、あのジェーンバーキンが出てるのに地味な公開で、「知らないうちに始まって終わっていた」らしい。
その後「チャーリーとチョコレート工場」で、ジョニー・デップのために映画の魅力に目覚め、2005年よりすっかりジョニー・デップのファン。
また、音楽監督のダニー・エルフマンも単純に好きである。監督の、ティム・バートンまで好きになってしまった。
ディミトリ・ドブラエル ピアニスト
16歳で、ピアニスト、ドラマーとしてデビュー。JCRカルテット、レイカ・ファシアン・カルテットではドラマーをつとめる。
日本に興味を持ち、パリの日本学校で3年間、日本語を学ぶ。
普段は余り日本語を話さないが、フランス語を話さない日本人には、丁寧に話してくれる。
ジャズとピアノとCDの話を始めると、終わらない。
散歩とフランスパンが大好き。モンマルトルには、東西南北、なかなか詳しい。
歩くといくらでも歩いているので、お散歩のお供には向いているのか向いていないのかよくわかりません。
ジョニー・デップも好きで、さらにティム・バートン派。
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