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音楽学校の審査員

 

〜公立音楽学校の進級試験に立ち会いました。〜

 

学年末の試験の目的は、「進級するかどうかを決める」ことです。

進級OKの場合には、評価に2種類ほどの段階はあります。いろんな呼び方があります。

受験人数にかかわらず、これらの評価がないと進級できないので(具体的なシステム参照)学年(レベル)内順位をつけて比較する日本の音大とは違うシステムです。つまり、4人受けて、皆が優秀であれば、4人とも「一位」「金メダル」になる可能性があります。逆に「一位なし」も、ありえます。

 

最近は制度が変わりました。主な違いは、以前は、とにかく毎年試験があったのが、現在は4年ひとまとめを「サイクル」とし、(課程とでも訳しましょうか)そのサイクルを終了できるかどうかの試験となりました。毎年のかわりに、試験は4年に一度。考えようによっては、たまにしか試験がないわけですから、私はネガティブだと思います。

では、20063月の体験談を記載します。試験に立ち会ったのは初めてではありませんが、この学校はずいぶん早くでした。(音楽学校の授業は6月末まであるので、少し早めです。)

 

 

前書き   声楽クラス   ピアノ  

 サイクル1&2(ピアノ)  最終学年(ピアノ)     試験の目的   蛇足

                                                                                                    

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20063月 音楽学校の審査員をしてきました。

パリから電車で1時間近くの市。歌とピアノの生徒の審査でした。

 

フランスの音楽学校の仕組みは現在「4年ごとのサイクル」が2サイクル。サイクルの終わりに試験を受け、進級しても良いかどうかを決めます。2サイクル、8年分が終わるときは、卒業最終試験があります。その上にも、上級コースがあります。これらの試験の目的は、上へあがるか、卒業させるかの結論を出すのが目的です。審査員として呼ばれたといっても、フィギュアスケートのような“コメント”は、あまり必要ではないようなのですが、あれこれ言ってしまいました。

 

結果は3種類、たとえばサイクル1の終わりでは、mention (評価、というところ?)

TRES BIEN トレビアン、審査員全員同意もあり。

BIEN ビアン、 ここまでは、上に進めます。

ASSEZ BIEN アッセ・ビアン まあいいでしょう、といった所ですが、実はこれ、上にはあがれない=もう一年やり直し

Assezとは、充分に、といったような意味ですが、これがつくとビアンだけより、ネガティブなのですね。

 

 

声楽クラス

歌の生徒は、サイクル1がふたりで、無難に終わりました。ひとりは15歳の生徒でしたが、先生も熱が入って、本人もとてもよく勉強しています。すばらしいです。ので、全員一致のトレビアン。もうひとりは、緊張して音が外れたりするが、緊張と戦っているのはよくわかるし、おちつけば音もあうし、表現したい意欲も伝わってきます。トレビアンにするには不満、でも落とす必要も感じられなので、ビアンで進級。

 

 

ピアノサイクル1、2、最終試験に立会いました。なお、ほかの審査員は、学校長(おそらくピアニストでしょう)、他の学校のピアノの先生ふたりと、ソルフェージュ・基礎音楽の先生です。使用ピアノはヤマハG3。

 

ピアノには課題曲と、自由曲があります。

サイクル1 A.Webern  Kinderstuck”    ヴェーベルン

サイクル2  Ligeti  Musica ricercara 3, 4”  リゲティ

最終試験  ブラームス ラプソディ1

 

 

サイクル1

4年分のピアノレッスンのあとに受ける試験です。7歳で入学して始めたとしたら、早くて11歳です。みな10歳は超えているようでした。課題曲ヴェーベルンは、けっこう現代曲なので、個性がないと、退屈します。キレイに弾いていても「何もない」わけです。とはいえ、10代初めの若い子供に個性を求めるには、早すぎるような気もします。微妙です。私にとっては、この段階では、音がきちんと出ていれば、まずは良いのではないか、と思いました。「表現してるつもり」でも、ただ先生の言われたとおりに弾く、ということもありますから。

サイクル2

二人が受けました。まず、男の子13歳くらい?クラスの優等生、ピアノが得意、という印象のタイプ。音はきれいだし、よく弾いています。ただ、丸めた背中がセムシ男状態で、とても気になりました。自由曲のベートーベン、テンポがわからず、強拍が感じられませんでしたので、これ、わけがわからず、ベートーベンだとはきづきませんでした。

 

24歳の男性は、自由曲に、ながーいショパンのノクターン。うーん、pはまだよいけど、の音の質がきつくて、聞いていて疲れます。懸命にしているレガートはいいんだけど、フォルテが「いたい」音。左手は一定のリズムで流れるように伴奏するはずの曲ですが、重い。当然、長く感じられて、退屈しました。あとで、ジャズを先に始めた人だと判明。なるほど。たたくようなタッチをジャズピアノだ、と信じて先に学んでしまうと、きちんとピアノの音を出すテクニックを習得するのは大変なのです。強すぎないように、練習したようですが。

 

サイクル2の課題曲Ligeti  Musica ricercara 3, 4”  リゲティの作品)

 

レガートについて、さっそく身近なピアニストと意見が分かれましたが、“なめらかに“レガートといっても、音が”重なってしまう“のは、私は約束違反だと思うのです。ピアノでのレガートが「次の音に重なりあうことでレガートになる」と考えられているとしたら・・・歌手とか、管楽器はどうするんでしょう?こちとら、一度にひとつの音しか出せないんです。ピアノだけ例外だなんて、約束違反、ずるいですよ。私は反対です。

 

なお、付け足しておくと、よく弾いていた男の子は背中をまるめこんでいたせいもあってか、本人の周りの空間を狭く感じました。よく音も出ているが、「その先」を見てくれたらいいな、と思います。自分のことばかり見てないで・・・

 

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最終学年

 

課題曲 ブラームス ラプソディ1・ 自由曲

初見演奏、ただし純粋な初見というわけではなく、10分を準備にあて、音楽的に自分で曲を組み立てて弾ける力があるかどうかを見る。

音楽について口頭試験

 

ブラームスのラプソディ1ってのは、難しすぎるんでないかい?(だからといって、どんな曲が最適なのかは、さっぱりわかりませんが。)

とにかく、ひとり目は外しっぱなしで、音階をまともに弾けず、3分の1くらいは、音がなかった。個人的には思わず卒業に反対しそうになりましたが、しかし彼女の自由曲(ハチャトリアンのトーッカータ)は、のめりこんでいて、たいへんおもしろかったのでOK。(でも、他の審査員は、トッカータが気にいらなかったらしい。???)彼女はブラームスがあまりにガタガタで、音楽についての一般的な質問についても、いまいちでした。彼女には「ラプソディって何ですか」「他のラプソディには何がある?」というような質問でした。私はガーシュインしか思いうかばない〜。私だったら、ここで減点でしょう。

あとで彼女に「ブラームスあまり好きじゃなかったでしょ?トッカータは大好きでしょ?」と聞いたら、そのとおりでした。そういうタイプの生徒、いるんですよね。好きな曲には熱が入っちゃうという。

彼女は、これからは特別にピアノを専門にしていくつもりはないとのことも考慮して=落第させてもう一回、同じレベルの試験を受けさせる必要もなかろう、とうことで、“ビアン”で合格。

 

もうひとりは、さらに上級に進む意欲あり、か細い体で、音は弱いのですが、その可能性の中でバランスよくニュアンスをつけ、ブラームスもきっかり弾いてくれて、ほっとしました。それに、椅子の調整をしたのは、彼女だけ!まともな靴をはいていたのも彼女だけ。(みんなスニーカーでした〜)彼女の自由曲は、ドビュシー2曲。月の光と、パスピエ。うーん、ちょっと不満。月の光は、テンポ速過ぎないかな〜。思わず楽譜を見たら、アンダンテでしょ。アレグロじゃないでしょ。イメージが全然浮かばなかった。さらに、ポリフォニーの面があるのに、外声・内声を際立たせるのが、いまひとつ。それを不満だなあ、と申し上げましたら、他のピアニスト審査員から「ブラームスは、よく分かれていましたよ」とのお答えでした。私はドビュッシーについて申し上げましたのです〜。気になって、つい彼女には、口答試験の際、「バッハの勉強しましたか」と聞いたら、やはり少なかったようです。

先生、お願いします〜これだけ弾ける子なんだから、バッハのインベンションの全曲くらい、やらせてください。審査員のピアニストの皆様、私は声楽家としての意見を述べたましたのみでございます〜ポリフォニー、対位法、ということには、うるさいのでございます〜。

「ドビュッシーと印象派の関係は知ってるよね?」という質問も出ていました。それはそれ一般的な解釈がありますから良いのですが、演奏から月の光のイメージがわかないのには、私は困りました。でも、トレビアンで無事修了。がんばって、ぜひ次の段階へ進んで欲しいものです。

 

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この段階での試験の目的 学校長の話です。

 

「最終学年には、ふたつ目的を考えることが出来る。

1.さらに上級の学校で、音楽の勉強を続けたい生徒。

2.または、アマチュアとして、自分である程度、やっていけるかどうかを確認する。

なるほど。10分の準備時間で、短い曲をひとりで仕上げる課題は、まさにそのためです。

曲は、シャルル・ヘンリー“クラシックとジャズの間“、2ページでした。タッカのリズムの入った、2声の曲です。

でも、どこがジャズやねん。

 

結論から言うと、全国的に、共通の課題曲、共通のレベルを設定してあっても、実際には学校によってもレベルが違います。学校長の考え方によっても、結果はかわってくるでしょう。この学校では23歳の男性が第2課程終了の試験を受けていますが、パリ内だったら、年齢制限にひっかかっているかもしれません。

 

 

蛇足

他の審査員の中では同意でも、私だけ意見がちがうことも少なからずありました。しかし、なんとなく「この人たち私の言うこと聞いてない」という気がしたので、つっこみませず、私の胸のうちと、ここのHP内にとどめておきます。ドビュッシーのこと(ポリフォニーについて)などは、生徒本人に言えればよかったのでしょうが・・・。他は審査員といってもピアノの先生、言わば生徒と同業者。また、教えている先生は、結果決定には参加できませんが、出席されます。試験というのは数分の演奏を聞くだけですが、先生は、普段の様子をご存知なわけですから、意見も違ってくるし、判断に冷静になれるともいえます。

なお、ドビュッシーと絵画の印象派の関係については、クロードくん(ドビュッシーの名前です)本人には、そううつもりはなく、嫌がっていたといううわさがあります。ワーグナー系出身とか。

 

ところで、私は他の審査員の先生方がものすごく小さな声で話しておられたのに、驚きました。端っこにいた私には、何も聞こえてきません。たしかに会場は締め切った部屋ではなく、カーテンで区切っただけの“広間”、階段の下からざわめきが聞こえてきますが、なにもそこまで声をひそめなくても・・・というくらい小さい。口頭試験でも、生徒も小さな声でした!一般化しちゃいけませんが、まさか、すべてのピアニストが、ぼそぼそ話すわけではないですよね!?ピアノは、その代弁の手段なのかな!?なんて思ってしまいました。自分のことを棚に上げて。

 

ふたりしかいない声楽の生徒のためでも、おそらく試験として、公的に、声楽の専門家が必要だったのでしょう。

私は歌の専門家として、声楽クラスの審査に呼ばれたわけですが、ふたを開けたら、8人の生徒のピアノの審査もあり。(やっぱり。5分の試験のために往復2時間はないよね)

学長は、ピアノ以外の人の意見も聞きたいから、とおっしゃっていましたが、あまりそうは感じませんでした。・・・・・・

フランスは専門の科目ばかりしてるから、歌手はピアノを弾けないと思ってるんでしょうが、あたしゃ20年間習っていたピアノにはうるさいんだぞ。(長いだけだけど)ちゃんと、試験曲の楽譜だって、初見でも読めるんですからね。ドビュッシーの曲だって勉強したんですからネ。なんてくだらないことを思っていました。

 

私を審査員に招いてくれたのは、この学校の声楽の先生。声楽教授の国家資格試験の準備講座の同級生です。去年の秋から、この学校で教え始めたとのこと。声楽の試験が17時と19時の二人しかいないので「暇だから、その間、お茶しましょう」と言ってくれてたけど、やはり、審査員として呼ばれると、楽器の専門に関係なく、試験にたちあわねばいかんのでありました。

 

 

前後しますが、若い歌手に言いたかったのは、

「先生の物真似ではなく、いつか自分で自分の歌い方を見つけてください」ということのみでした。

(もちろん、今言っても、まだ早すぎますが)自由曲は、パーセルの「ディドとエネアス」から、ベリンダのアリア。簡単な曲ではありません。

先生のあとに繰り返し歌う、と言うのは、鸚鵡返しになる、そういう危険性ももっています。

 

なお、この日、先生の注意してることと、私の注目したことは、ひとつの点を除いて一致しました。う〜ん、ベリンダのアリアはいつも高音なので、それでクビがリラックスしてないんじゃなのかなあ。フランス人には英語は外国語だし。他の曲の方がいいんじゃないかなあ?

「あなただったら何の曲にする?」との質問(お、国家資格試験の再現か!?)には、さりげなく「イタリア古典歌曲で、あまり高音のないもの」と、無難に答えました。

 

前に他の学校で審査したときも、同じことを感じました。このときは、恐れ多くも恩師の指導のクラスの生徒の審査。代講をしたこともあり、中にはよく覚えている生徒もいました。上手く表現できませんでしたが、一番高いレベルの生徒に言いたかったのは、まさに、上に書いた「先生の物真似ではなく、いつか自分で自分の歌い方を見つけてください」ということ。違う人間が歌っているはずなのに、私には、その先生の声と歌い方が連想されて仕方なかったのです。私は、個性のある、この恩師の歌い方をよく知っています。だから、まるで物真似を聞いているような気さえしたのです。声色までも。

 

レベルがあがってきたのならば、「自分の歌」を歌って欲しい、と願うのです。

 

今回、幸か不幸か、ピアノへ固執してしまう自分を痛感した次第です。関節リウマチのせいで手首は固まり、そのために手術しても、やはり手が痛いわ、指の腱が切れるのが心配だわ、で自由に弾けないのは、つまらないです。

でも、それでもある程度の伴奏ができるのは、とてもありがたいこと。もう何年も弾いていなかったのだから。

魂だけ、まだ、ちょこっとピアニスト。

 

 

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