レッスンの思い出
いつの間にやら、自分が子供をレッスンに通わせるような年になりました。さて、そんな自分は何を覚えているか?
一番よく覚えているのは、ピアノのレッスンのあと、母親とCBCという喫茶店によく行ったことであります。生意気にも、クロワッサンとカフェオレを注文していました。あるいは、ソーダ水か、クリームソーダ。
あれ? レッスンの中身なんて覚えていないんです、実は。ごめんなさい、先生。自分が親の年になると、私のためにレッスンに行ったというより、母親の外出の理由だったのだろうか、なんてかんぐってしまいます。(嫁姑大家族。失礼、母上)
覚えているのは
途中からソルフェージュのクラスができたこと。作曲をやらされ、それがコウホに残っていたけど最終的には落ちたこと。
次の年も甘く見て参加したが、うろ覚えで演奏するのも危うかったこと。(これが原因で、きっと、覚えていない舞台に出る夢をいまでもみるのだ・・・)発表会で、第2部に、一人だけ「ある愛の詩」をピアノソロで弾いた事。第2部はポピュラー編で、私以外はみな、エレクトーンとデュエットだったのです。(なんで私だけ?)
いつも、母親が妹とおそろいのロングドレスを手作りしてくれました。
3歳だか4歳だかで始めたらしいピアノ(オルガン?)その後はハマヤの教室で。中学で個人の先生へ、うつりました。先生は、いいお年頃、あるいはまだ大学生だったのかもしれません。行く前に初見しては、たいてい○をもらってくるという、ふざけた生徒でした。
歌のレッスンは、
高2の頃からだったと思います。高校受験の際、音楽科は?という話もあったのではないかとおもいますが、いやいや、そんなに早く進路をせばめてはいけないではないか、などと自ら生意気を言って、普通科へ行きました。それが、結局受験準備ということで、音高の先生のところへ通うようになったのです。うちからずいぶん遠い所でした。お互いに言葉少なく、またここでも、直前にショケンシテ、それでマルヲモラッテイタノデシタ。
高3になると、
本格的に、入りたい大学の先生のところへ通うことになりました。もう、大学と同じ位、遠かった・・・バスに乗って酔っ払いそうになったり、夜道が怖かったり・・・新興住宅地、というのでしょうか、環境がよすぎて、林があって・・・うちの大学そっくりでした。先生も、もう退官され、“お子さん“も、留学生となられ、教えられる年齢になったのではないでしょうか。
レッスンって・・・私は内容を思いださない。困ったものです。ただ、嬉しかったこと、悲しかったこと、気分のわるかったこと・・・
感情だけが思い出されます。でも、その積み重ねがあって、今の私があります。
皆さんはどうでしょうか。