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宗教音楽〜聖歌隊と私

 

日本では、「宗教曲」をソロや、声楽アンサンブルで歌いました。

それはいつも勉強が目的だったり、コンサートのプログラムだったりと、

それ以上には、特に意味はなかったのですが・・・

 

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パリ・ノートルダム聖歌隊

1993年のこと。ノートルダムの聖歌隊へ入ったことで、突然「宗教曲」が「日常のもの」、特別ではないものとなりました。

 

教会では毎日ミサがあり、日曜にもミサがあり、いつも合唱・オルガン演奏つきです。(ですから現在でも、プロの教会付きオルガニストがいます。)しかし、私には戸惑いがありました。聖歌隊には入れたのですが、メンバーに信者も多かったのです。ミサのとき彼らは、小さなパン(というか、ほんとに小さなひとくちしかせんべいみたいなもの)を頂くのです。頭を下げる程度の動作は礼儀として参加しますが、私には、彼らと一緒に「アーメン」と唱える本当の理由はありません。ミサで歌う曲は、大きいものとは限らない。平日のミサは短いので、むしろ「小さい曲」です。ラテン語のままのグレゴリオ聖歌も入ります。同様、同じ音をのばしたまま、フランス語で聖書の言葉なり、大切なお言葉を述べるものもあります。

 

今まで、西洋音楽、と言う意味でしかなかった宗教音楽が、突然ちがった角度で迫って来ました。

私がここにいて、いいんだろうか? と少なからず、自分に問いました。

 

音楽学校で学ぶ曲も、宗教曲が多くあります。しかし、あまりにも技術的に、歴史的に、「音楽として」学ぶ機会が多い。

純粋に「芸術作品」として。

 

大きな作品、優れた作品は、芸術として生き残った・・・といきたいところですが、単純に、今まで“お蔵入り”していただけ、というものも多くあります。ですから、古楽関係者は、常に“新しい(古い)楽譜”を探しています。大きい曲では、合唱とオケを控えて、ソロ・重唱のソリストとしての勉強があります。古楽のアンサンブルに限らず、大きな合唱団の仕事でも、ミサ曲なら、信者だろうがそうでなかろうが、仕事として歌います。

 

私は一度だけ、お葬式で歌いました。急遽呼ばれて、そりゃ予定は立てませんね遠くまで歌いに行きました。が、私は教会での“儀式”の専門家ではないのです。独立した曲は楽譜を持っていたのでうたえたのですが、希望されたうちの一部の曲というのは、信者なら誰でもミサの時に「唱えている」タイプのものでした。メロディーはかんたん、教会に集った人々の方は知っている。でも、ラテン語の式次第は、私は暗記していません。・・・いずれにしろ、できるだけもうやりたくない仕事です。お葬式には歌いたくありません。第一、どんなツラ下げていったものやら。

それに、生徒の一人から「このアヴェ・マリアは、父親の葬式に流れたので、歌えません」と言う話をもらい、心が痛くなりました。私自身も、義母が亡くなったときに、ある曲を義父が流していたので、その曲をきくたび、悲しくなります。だから、個人的には、悲しいことと音楽を結び付けたくありません。結婚式ならいいですが・・・人生の墓場だって?

 

 

 

聖歌隊再び

さて、ノートルダムはあまりの寒さに疲れ、豊富なカリキュラムに後ろ髪ひかれつつ、早々にクリスマスで退団してしまいました。

縁が切れた、と思わなかったわけでもありません。

 

それが、ずいぶんたってから、再び、発声指導者として、また聖歌隊にかかわることになりました。フランス全国から集る、聖歌隊メンバーを指導するのです。10歳から、おとなまでの4声編成の合唱で、テナー・バスの男性も少なくありません。

ブールジュのカトリック私立学校の寮で、受講生と一緒に缶詰。指導陣では紅一点。グレゴリオ聖歌のネウマ譜は、ノートルダム以来久しぶり。全く、普段やっていないと忘れるもの。子供たちのほうが余程、スイスイとついていきます。普段は初見に強い私も、慣れていないタイプの楽譜ではどんくさいことを自覚しました。楽譜が読めない、と嘆いている人は、とにかく毎日読んで、慣れるしかないですよ。慣れますから。一番困ったのは、また「唱える」タイプの曲。楽譜も、かんたんなもの。それにフランス語の中身のいっぱい詰まったテキストが、何行も何行も・・・・・・問題は、フランス語の初見にあったのでした。

 

ミサは一日4回。構内にシャペルがあるので、そこで練習、朝のミサを行います。朝は、早くから発声をしたかと思うと、すぐさまミサになだれ込み、歌います。神父さんもいらっしゃるのです。昼のミサは希望者のみ出席。夕方は、全員がブールジュの大聖堂まで行きます。きちんと登場のときから、お香をもって、行列を持って入場します。みな、各聖歌隊の制服で歌います。地元ブールジュからの参加者は、ミサの恰好で・・・神父さんと同じような衣服です。私も1年目は衣装も借り、行列に参加しましたが、2年目からは遠慮して、うたの補助に徹しました。(だって、何を着ていようが、遠くだし、オルガンの影で見えないんですもん。それに寒くて)そして夜のミサ。

 

大ミサではいつもどおりパンが配られ、ひざまづいていただく講習生がほとんどです。私の立場は?・・・ちらりと、これでいいのだろうか? といつもの自問がよみがえるのですが、指導仲間に加えてくれる人々が何も言わないわけですから、かまわずにおりました。

 

芸術作品

キリスト教の考え方がしっかり根付いているヨーロッパでも、国によりプロテスタント、カトリックと流派の違いがあり、教会での音楽の価値は、いろいろ違うようです。とりあえず、多くの宗教作品は、芸術として、生き延びてきました。ほかの国にも、発達した宗教音楽というものはあります。フォークソング演奏が重んじられるプロテスタントのミサだってあります。ロックバンドだってあります。お経だって音楽と思えば、そうです。だから、ひとくちに「宗教の・・・」といっても、私には歌えないな、というものもあります。声明とか・・・(^_^;)

でも、少なくとも、ヨーロッパ、バロック時代以降の宗教曲は、独立した芸術としての可能性がある。

考え方を変えてみれば、信者でなくとも、宗教曲を歌っていい。ありがたいことです。

 

おまけ

この手の作品に、ラテン語の作品が多くあります。ラテン語の読み方は、音楽をやる上で勉強させられますが、多少国によって発音の違いがあります。例えば、イタリア読みとドイツ読みで、違ってくる単語があります。私はドイツ読みを忘れてしまったので、細かいことは言えませんが、子音がにごるかにごらないか、gを、グと発音するかどうか、など(agnusアグヌス、 伊では、アーニュス)違う模様です。

 

フランスではどうかというと、一般的にはイタリア読みです。(同じラテン系のことばだから?)しかし、フランス語風の読みかたというのもあります。これは近年のバロック作品の録音の際によく用いられています。規則を覚えれば良いのですが、そのあとは、“指揮者によって言うことが違う”、というもの。

ずっと歌われていなかったのに、どう発音するか、どうやって分かったの? と疑問に思うのですが、話によれば、地方や、一部の教会の信者の間では、常にフランス風よみでうたわれている等、そんな現場から研究されたそうです。そういえば、日本の隠れキリシタンの流れを組んでいる地方では、「おらしょ」など、日本語の唱えとして、「意味はわからないが、音は残っている」“聖歌”があるそうです。だから、知らないところで案外残っているものなのかもしれませんし、その日本で残った発音が当時のヨーロッパの発音、と言う説もあるかも?。あまりでたらめを述べてもいけません、私は音楽学者ではないのですから。

般若信教みたいなものでしょうか。あれは梵語を「音」として保存したのでしょうからね。(意味ではなく。)

 

日本にいたときは、フランス風発音のラテン語でクープランのルソン・デ・テネーブルを歌うのが夢でしたが、これは数回、かないました。

その後うたったシャルパンティエなどフランス人作曲家の作品のミサ曲は、常にフランス発音。フランスバロック作品には、「風が吹きます」といっている私です。この発音は、音楽に、やはり、ぴたりと沿うのではないか、と勝手に思っています。

 

 

 

 

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